業種は無関係。「経営のやり方」が重要です。


いま、いちばん新しい事例です。

お客が増える!No.44は、有限会社ふ芳の事例です。
「ふ芳」の「ふ」は生麸(なまふ)の「ふ」です。
生麸は、室町時代、中国から日本へ伝わったそうです。
もちもちした食感です。煮物の一品として食べたことがあるのではないでしょうか。

現社長の桑島尚昭さんは、父親である先代や母親、弟や妹など身内をはじめ、従業員のみなさんとがんばってきましたが、お客が少しずつ減っていく……。
そこで、勉強し、店を一軒一軒訪ね、新規開拓をおこなったら、予想以上にお客が増えた!という事例です。
この事例を学ぶと、新規開拓をやりたくなると思います。

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〈ダイジェスト〉

「経営に関しては、まったくといっていいほど知識がありませんでした。いま思えば、経営について何も考えていない戦術係でした」
 そう振り返るのは、有限会社ふ芳の代表、桑島尚昭さん。
 設立が昭和41年(1966年)の有限会社ふ芳は、社名に「ふ」の文字があるとおり、生麸を製造している会社です。生麸のほかに、生ゆばやごま豆腐など、和食に用いられる日本の伝統的食材が、和食の店や旅館、ホテルなどの料理人に支持されてきました。桑島さんは、こう続けます。

「創業者である父親は70歳を超え、僕がしっかりしないといけないのに、つくることばかりに一生懸命でした。でも、遅ればせながら勉強をして本当によかったと思います。勉強を始めたのが2008年の1月。もし、経営のやり方を変えなかったら、その後のリーマンショックによって、当社はいまごろ存在していなかったかもしれません」

 先代で創業者、父親である桑島稔さんは、大阪にある『ふ芳』からのれん分けにより独立。神戸の『ふ芳』として独り立ちしたは昭和41年のことでした。
 父親と母親は、まじめにコツコツ、黙々と働いてきました。地道にお客を増やし、従業員を増やし、売上も1億を超えるまでに会社を成長させました。
 しかし、31歳で創業した先代は、いつのまにか70歳に。近年は、桑島尚昭さんが実質的な経営者として父親を助けてきましたが、うまくいった事業承継とは反比例するかのように、業績は少しずつ右下がりの線を描いてきました。

 にもかかわらず、現在、『ふ芳』がV字を描くように伸び始めたのは、桑島さんいわく、「経営の勉強を始め、戦略を立て、従業員が協力してくれたから」です。
 1億1000万円が8000万円へと25パーセントの減少。この減少分を取り戻したい。そのためにはお客を増やしたい。そう願って経営の勉強を始めたのです。
 リーマンショックを機に、売上が落ちてきたことが勉強に取り組み始めた根本的な理由ですが、桑島さんが本気を出した背景には、ある取引先の社長との出会いがありました。

 その会社には商品、地域、客層、営業といった言葉が並んだ奇妙な表がありました。意味不明な表について尋ねると「ちゃんと経営の勉強をしたほうがいい」とアドバイスをもらいます。桑島さんは言います。

「僕の仕事は、品質のいい生麸をつくり、配達し、集金することだと思っていました。製造の技術が高ければ、いい仕事をしていると認められ、売上も上がると思っていました。新商品を増やし、品質で差別化をはかること。それが経営という仕事だと思っていたんです」

 3年間勉強した後、数字に結びつく行動にうつったのが2011年。V字回復を願って桑島さんが立案した対策とは、「イノシシ退治にならった地域戦略」でした。
 1700年代のはじめ、長崎県の対馬でおこなわれたイノシシ退治は、土地を細かく区分して、ひとつのブロックごとに、地道に進めていくものでした。
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 300年後の今日、三ノ宮という、兵庫県神戸市のなかでもっとも繁華街といえる街に場所を移して、地域戦略がおこなわれました。
 対馬におけるイノシシや鹿の退治は、延べ9年間で8万頭という大きな成果をおさめましたが、神戸の三ノ宮では1年間で56軒という新規開拓に成功しました。
 最初は、わずかな取引でもいいのです。大切なことは、まずお客が増えること。そのためには、並々ならぬ熱意と戦略が必要なことが、桑島さん率いる『ふ芳』の取材を通して再確認できました。

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