3月を迎える前に

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  こんにちは。お客が増える★プロダクションの村上
透です。

     
   毎月月末は、1ヵ月を振り返ってあなたにお礼。
   送ってくださったメールやおたよりを紹介いたします。
   でも今月は、2月
21日に読者からのおたよりを
   たくさん掲載させていただきました。ありがとうございます。
   今月は、合計するとかなりのメールを紹介することになります。

   メールを送ってくれたあなたにはもちろん、
   読んでくださっているあなたにも心からお礼を申し上げます。
   ありがとうございます。
      

 今日の内容
  *3月を迎える前に(おたより本文)
  *けっこうまじめな炊飯生活(村上
透ものがたり)
  *この日、ここで、あなたに会えませんか(セミナー案内)


★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★      
  3月を迎える前に
★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★

 ★2月7日のメールレター(隣のおばさんの弁当)に
  こんなおたより。「
iPhone(アイフォン)ができない!」
  という僕の嘆きを救ってくださる(笑)メールです。
  おふたりのメールを紹介させてください。


 
iPhoneは慣れるまで私など2ヶ月以上もかかりました。
 自慢にもなりませんが・・・今では手放せません。
 
 人と人とのつながりを大切にしたい
 
 常にそう思って生きていますから
 相手がお客様でもそうでなくても
 こどもでも女でも 肩書きのある方もない方も
 すべてのくくりは「人」
 そんな考えは
 今でもまだ誰にでも語れるほど自由な世の中ではありません。
 
 実感 するからこそ「人」が大事です。
 
 いつもありがとうございます。
 ハッピートークトレーナー
 人と会えば会うほど自分を見つめる 菅野 ゆかり
 〜Kanno Yukari〜
 
 コミュニケーションはなん 
 ホームページ   
http://www.hanan.goyoutashi.jp/
 ブログ更新中! http://ameblo.jp/goyoutashi/
 
 (村上より)
 「がんばって」とか「きっとできます!」という
 励ましではなく、自分のことをさらりと言ってくれる。
 菅野さま、ありがとうございます。やはり、
 人と人とのつながりですよね。勇気をありがとうございます。


 岡山の田口です。
iPhone歴一年ですが未だに慣れません
 
iPhoneは『習うより慣れろ』です。
 今の田口では説得力に欠けますね。ハハハ


 (村上より)
 人生逆転計画書作成サポーターの田口さんから、
 うれしいのにじーんとくるメールをいただきました。
 田口さん、ホントはアイフォンを使いこなしているのでしょう。
 人の不安や悩み、あせり、恥ずかしさをよく知っている方です。
 ありがとうございます。承諾なしの掲載、ごめんなさい。


 ★2月
10日のメールレター(36年ぶりのおばさん)に
  こんなおたより。おふたり紹介させてください。

 きょうのメルマガを楽しみにしておりました。

 私も読んで、
 目頭が熱くなりました。。。

 ありがとうございます。
 続きがあるそうで、
 とても楽しみにしております。

 (村上より)
 悲しい話で涙を流すのではなく、いい話で目頭が熱くなる。
 いいですよね。感動させるために書いた話ではなく、
 ただ正直に事実を伝えただけで感動してもらえる。
 僕は事実を伝えることが使命。と再認識しました。
 
Kさん、いつもありがとうございます。


 「
36年ぶりのおばさん」の続編、読みました!
 感動しました。
 自分で勝手に想像していた結末と違っていて

 あぁ、こんな心配りのパターンがあったのか、と。
 ダメですね。
 なんでも自分の物差しで自己判断してしまうのは。

 おばさん夫妻がご健在だった事。
 お互いに近所に住んでいた事。
 会うのを控えて氏名を伏せて人づてに返信をした事。

 双方ともにいろいろな思いのある中、あえて再会せずに
 お互いの家庭の幸せを祈る。

 本当にいいお話でした。
 日本人の奥ゆかしさや、義理・人情が溢れる内容でした。
 人間の脳って本当に凄いですね。
 なんだか、ホワイトベースの小串さんみたいです。(笑)

 こんなお話を聞かせてくれた村上さんに感謝です。

 (村上より)
 ホントですね。小串さんみたいですね。
 心配りのやり方って、人それぞれ。いろいろですね。
 自分の物差しを持つことは必要ですが、
 自分の物差しだけが正しい目盛りではないのですね。
 でも、このおばさんに会ってお礼を言いたいですよね。
 
Cさん、いつもいつもありがとうございます。

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エルトゥールル号の遭難

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〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜20110224

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  こんにちは。お客が増える★プロダクションの村上
透です。

     
   ものがたりを一編、書き写しました。
   いきさつは、昨日のメールレター(2月
23日号)をごらんください。
   アメリカの岡田さま、高岡市の野村さま、
   ありがとうございます。
   おかげで多くの方に読んでいただくことができます。
      

 今日の内容
  *エルトゥールル号の遭難(おたより本文)
  *父の上京(村上
透ものがたり)
  *この日、ここで、あなたに会えませんか(セミナー案内)


★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★      
  エルトゥールル号の遭難
★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★

 和歌山県の南端に大島がある。
 その東には灯台がある。
 明治3年(
1870年)にできた樫野崎灯台。
 今も断崖の上に立っている。

 ビュワーンビュワーン、猛烈な風が灯台を打つ。

 どどどーんどどどーん、波が激しく断崖を打つ。

 台風が大島を襲った。
 明治
23年9月16日の夜であった。
 午後9時ごろ、どどかーんと、風と波をつんざいて、
 真っ暗な海のほうから音がした。
 灯台守(通信技手)ははっきりとその爆発音を聞いた。

 「何か大変なことが起こらなければいいが」

 灯台守は胸騒ぎがした。
 しかし、風と、岩に打ちつける波の音以外は、
 もう、何も聞こえなかった。
 このとき、台風で進退の自由を失った木造軍艦が、
 灯台のほうに押し流されてきた。
 全長
76メートルもある船。
 しかし、まるで板切れのように、
 風と波の力でどんどん近づいてくる。

 「あぶない!」

 灯台のある断崖の下は「魔の船甲羅」と呼ばれていて、
 海面には岩がにょきにょき出ている。

 ぐうぐうわーん、ばりばり、ばりばりばり。

 船は真っ二つに裂けた。
 その瞬間、エンジンに海水が入り、大爆発が起きた。
 この爆発音を灯台守が聞いたのだった。
 乗組員全員が海に放り出され、波にさらわれた。
 またある者は自ら脱出した。
 真っ暗な荒れ狂う海。どうすることもできない。
 波に運ばれるままだった。そして、岩にたたきつけられた。

 一人の水兵が、海に放り出された。
 大波にさらわれて、岩にぶつかった。
 意識を失い、岩場に打ち上げられた。

 「息子よ、起きなさい」

 懐かしい母が耳元で囁いているようだった。

 「お母さん」

 という自分の声で意識がもどった。
 真っ暗な中で、灯台の光が見えた。

 「あそこに行けば、人がいるに違いない」

 そう思うと、急に力が湧いてきた。
 
40メートルほどの崖をよじ登り、
 ようやく灯台にたどり着いたのだった。
 灯台守はこの人を見て驚いた。
 服がもぎ取られ、ほとんど裸同然であった。
 顔から血が流れ、全身は傷だらけ、
 ところどころ真っ黒にはれあがっていた。
 灯台守は、この人が海で遭難したことはすぐわかった。

 「この台風の中、岩にぶち当たって、よく助かったものだ」と
 感嘆した。
 「あなたのお国はどこですか」
 「・・・・・・・・」

 言葉が通じなかった。
 それで「万国信号音」を見せて、初めてこの人は
 トルコ人であること、船はトルコ軍艦であることを知った。
 また、振りで、多くの乗組員が海に投げ出されたことがわかった。
 「この乗組員たちを救うには人手が要る」
 傷ついた水兵に応急手当をしながら、灯台守はそう考えた。
 「樫野の人たちに知らせよう」

 灯台からいちばん近い、樫野の村に向かって駈けだした。
 電灯もない真っ暗な夜道。人が一人やっと通れる道。
 灯台守は樫野の人たちに急を告げた。
 灯台にもどると、十人ほどのトルコ人がいた。
 全員傷だらけであった。
 助けを求めて、みんな崖をよじ登ってきたのだった。

 この当時、樫野には
50軒ばかりの家があった。
 船が遭難したとの知らせを聞いた男たちは、
 総出で岩場の海岸に下りた。
 だんだん空が白んでくると、
 海面にはおびただしい船の破片と遺体が見えた。
 目をそむけたくなる光景であった。
 村の男たちは泣いた。遠い外国から来て、日本で死んでいく。
 男たちは胸が張り裂けそうになった。
 「一人でも多く救ってあげたい」
 しかし、大多数は動かなかった。

 一人の男が叫ぶ。

 「息があるぞ!」

 だが触ってみると、ほとんど体温を感じない。
 村の男たちは、自分たちも裸になって、乗組員を抱き起こした。
 自分の体温で彼らを温めはじめた。

 「死ぬな!」
 「元気を出せ!」
 「生きるんだ!」

 村の男たちは、我を忘れて温めていた。
 次々に乗組員の意識がもどった。
 船に乗っていた人は
600人余り。
 そして、助かったのは
69名。
 この船の名はエルトゥールル号である。

 助かった人々は、樫野の小さいお寺と小学校に収容された。
 当時は、電気、水道、ガス、電話などはもちろんなかった。
 井戸もなく、水は雨水を利用した。

 サツマイモやみかんがとれた。漁をしてとれた魚を、
 対岸の町、串本で売ってお米に換える貧しい生活だ。
 ただ各家庭では、にわとりを飼っていて、
 非常食として備えていた。
 このような村落に、
69名もの外国人が収容されたのだ。

 島の人たちは、生まれて初めて見る外国人を、
 どんなことをしても、助けてあげたかった。
 だが、どんどん蓄えがなくなっていく。ついに食料が尽きた。
 台風で漁ができなかったからである。

 「もう食べさせてあげるものがない」
 「どうしよう!」

 一人の婦人が言う。

 「にわとりが残っている」
 「でも、これを食べてしまったら
……
 「お天とうさまが、守ってくださるよ」

 女たちはそう語りながら、最後に残ったにわとりを料理して、
 トルコの人に食べさせた。
 こうして、トルコの人たちは、一命を取り留めたのであった。
 また、大島の人たちは、遺体を引き上げて、丁重に葬った。

 このエルトゥールル号の遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、
 そして明治天皇に言上された。
 明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。
 さらに礼を尽くし、生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて、
 トルコに送還なされた。
 このことは、日本じゅうに大きな衝撃を与えた。
 日本全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられた。

 次のような後日物語がある。

 イラン・イラク戦争の最中、
 
1985年3月17日の出来事である。

 イラクのサダム・フセインが、
 「今から
48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての
  飛行機を撃ち落とす」
 と、無茶苦茶なことを世界に向けて発信した。

 日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。
 その日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かった。
 しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。

 世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。
 日本政府は素早い決定ができなかった。
 空港にいた日本人はパニック状態になっていた。

 そこに2機の飛行機が到着した。
 トルコ航空の飛行機であった。
 日本人
215名全員を乗せて、成田に向けて飛び立った。
 タイムリミットの1時間
15分前であった。
 なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、
 日本政府もマスコミも知らなかった。

 前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は
 次のように語られた。

 「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人が
  してくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは
  忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。
  トルコでは、子どもたちでさえ、エルトゥールル号のことを
  知っています。今の日本人が知らないだけです。
  それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、
  トルコ航空機が飛んだのです」
                 (文/のぶひろ としもり)



 (ここから村上)
 お世話になった方に、直接、お返しができないまま
 時間ばかりが過ぎていきます。

 お世話になる一方で、その方のお役に立てないまま
 時間ばかりが過ぎていきます。

 その方じゃなくてもいい。
 ほかの人でもいいから、僕にできることをしよう。
 だれか別の人に対してでもいい。
 なにかお役に立てることをしていこう。

 そんな気になります。

 余談ですが、オスマン帝国の首都、イスタンブルまで
 日本海軍の軍艦「比叡」と「金剛」で送りましたが、
 そこには秋山真之が乗っていたそうです。
 海軍少尉候補生として「比叡」に乗艦していたのです。


 長い文章をお読みいただきありがとうございます。

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心動く話は思い出す

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 お客が増える★プロダクションが贈る メールレター
 【今日も元気に
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〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜20110223

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  こんにちは。お客が増える★プロダクションの村上
透です。

     
   2月
22日午前6時55分頃、和歌山県串本町和深沖で
   船が転覆、7人が投げ出されるという事件がありました。
   釣り客を乗せて小さな島へ接岸。4人が島へ上陸したあと、
   大きな波が打ち寄せ、岸壁に衝突。船はばらばらに。
   
86歳の船長が死亡、3人は漁船に救助され、3人は自力で海岸へ。

   今日のメールレターには串本町が登場します。
   偶然です。原因が何であれ、人命はおとしたくない。
   すべての事故に言えますが、どうすれば教訓にできるのか。
   人間は、おろかなだけではないと思いたい村上です。
      

 今日の内容
  *心動く話は思い出す(おたより本文)
  *情けない前科一犯(村上
透ものがたり)
  *この日、ここで、あなたに会えませんか(セミナー案内)


★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★      
  心動く話は思い出す
★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★

 「できることをする」というメールレターを
 差し上げました。ほぼ1ヵ月前、1月
20日です。

 大雪に見舞われた山陰地方の琴浦町。
 立ち往生した車が
1000台。

 国道沿いに住む人たちがトイレを貸したり、
 おにぎりを差し入れしたり。

 おせち料理を配る人もいたそうです。
 そう、大晦日のできごとでした。

 メールレターでは、こんな一文を載せました。


   この背景には、事故の起きた琴浦という町の
   土地柄があったといいます。
   昔から日本海で難破した船があると、
   浜に漂着した船の乗組員を町の人たちが
   総手で救助してきたそうです。
   葬儀や祭りの料理も、みんなで作ります。


 人として生きていくうえで「お互いさま」
 「助け合って」「おかげさま」は大切です。

 生きていくうえでの大前提ですから、当然、
 経営をおこなううでも大切です。

 そんな思いを共有したい。
 そう思って発信したメールレターですが、
 じつはこのようなおたよりをいただきました。


 (ここから)

 野村@三協立山アルミin高岡市です。


 いつもいい話ありがとうございます。
 メールレター楽しみにしています。

 今回の話は同じ雪国として特に共感しました。
 トルコの人が、かつて命がけで
 難破船の乗り組み員を助けたことを忘れないで

 親日でいてくれている話を思い出しました。

 当時の日本人のすばらしさなのか、
 土地柄なのか、リーダーシップが
すごかったのか、
 いずれにしてもひたすらな尽力に感動を思い出しました。

 そして、今も忘れないで親日でいてくださるトルコの方々に
 感謝しているところです。


 私はいつか再現ドラマか何かでみたのですが、
 検索してみました。
 参考にしてください。

 (ここまで)


 このメールとともに、資料を添付してくださいました。
 「エルトゥールル号遭難事件」という事件の資料です。

 (あぁ〜聞いたことある
)という方がいますか。
 僕は知りませんでした。


 【「エルトゥールル号遭難事件」のあらまし】

 
1890年ですから明治時代、9月16日、
 和歌山県串本町の沖で船が遭難。
 
587名の死者、行方不明者という犠牲がでました。

 船はオスマン帝国、現在のトルコの軍艦。
 台風による強風で岩に激突、座礁したのです。

 岸に流れ着いた生存者が助けを求めたところ、
 住民たちが総出で救助、介抱。
69名が生還しました。

 以来、トルコではこの事件が語り継がれ、
 多くの国民が日本に対して好意を抱いているそうです。

 対して日本では、あまり語られることがなかったそうですが、
 小学4年生の教科書に記載されたことをきっかけに、
 一部の人に知られるようになったとか。


 高岡市の野村さん、ありがとうございます。

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お客が増える本当の理由

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  こんにちは。お客が増える★プロダクションの村上
透です。

     
   冬は早起きが挫折します。
   寒い朝は、もう少し布団のなかに
と自分に甘え、
   目標6時の起床が6時
30分、7時、7時30分と
   大幅に遅れます(7時
30分がリミット)。

   今朝は寝坊したから、今夜は仕事をやらないと

   つい夜遅くまで仕事をします。目標は1時就寝なのに
   2時、3時とずるずる。早寝も挫折します。

   意志が弱いというか、言い訳がましい自分に嫌悪。
   こうやって書くことで自戒、行動を変えるつもりです。
      

 今日の内容
  *お客が増える本当の理由(おたより本文)
  *ベテラン警官のひとこと(村上
透ものがたり)
  *この日、ここで、あなたに会えませんか(セミナー案内)


★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★      
  お客が増える本当の理由
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 お客を増やすにはどうすればいいのか。
 お客はどんなことに共鳴し、価値を感じてくれるのか。

 僕が言わなくても、あなたは十分知っている。
 みなさんのほうが、よりわかっている。
 僕が考える以上に、あなたのほうが、より考えている。

 そう思いました。助かりました。ありがとうございます。

 「配信停止が寄せられました」と2月
16日のメールレターで
 知らせました。「お客が増えるテーマではない」との
 理由から、メールレターの配信停止依頼が相次いだと。


 それから、たくさんのメールをいただきました。
 会った方にもたくさんの言葉をいただきました。

 急きょ、予定していたメールレターの内容を変更します。
 今日は、みなさまからのおたよりを紹介させてください。

 どうやら僕は、とても大切なことを
 みなさんから教えていただいたようです。

 この場を通して、あなたに還元いたします。

 予定外のことですので、掲載の承諾を得ていません。
 お名前は伏せて載せます。敬称も。なにとぞご容赦。


 【名古屋の
Yさんから】
 各地でのセミナー、おつかれさまです。
 配信停止希望のことを正直に書いていてすばらしいです。
 ホントでしたら書きたくないだろうに、
 あえて公表するところが村上さんらしいと思いました。

 みんな欲張りですね。わがままです。
 「お客さまが増える(増やす)ための経営者向けメールレター」
 としての軸がぶれていないのですから、
 読者は離れないと思うので気にしなくていいのでは?
 (そんなちっぽけなこと、気にしていませんよね)

 (じつは気にしました
笑。勇気をいただきました。感謝/村上)


 【北陸の
Nさんから】
 おはようございます。
Nです。
 いつもいい話ありがとうございます。
 順次、バックナンバーを読んでいるところです。

 さて、メルマガ配信停止希望があったそうですね。
 なかなか人のニーズ、期待に応えるというのは大変ですね。

 金沢のセミナーで教えていただいたように、
 「お弁当を作ってくれたおばさん」の話が
 お客を増やすための根幹である共感できる人のために、

 またこのような話を聞かせてください。

 近頃、経営における愛とはなにか、技術開発における愛とは何かを
 考えるようになりました。

 その愛が「差別化」といった相対的なものではない、
 独自の価値を生み出す原動力になるのではないかと考えております。

 実態はまったくそうなっていないということです。

 3月の金沢のセミナー楽しみにしております。
 季節柄、お体ご自愛くださり、お越しください。


 (技術開発における愛。考えを聞かせてください。感謝/村上)
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おばさんの弁当の反響

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  こんにちは。お客が増える★プロダクションの村上
透です。

     
   昨夜は藤枝市でセミナーをさせていただきました。
   ありがとうございます。
   
50人もの受講者が聞いてくださいました。
   ありがとうございます。
   懇親会には
30人もの方がご参加。
   ありがとうございます。

   静岡名物、黒はんぺんのフライ。
   焼津の隣だからでしょうか、マグロの刺身。
   本場だなぁと、おいしさに舌鼓。
   味もいいけど、従業員の対応により満足。
   「寿し宏」さん。清潔で明るく、いいお店でした。
      

 今日の内容
  *おばさんの弁当の反響(おたより本文)
  *僕の犯罪歴(村上
透ものがたり)
  *この日、ここで、あなたに会えませんか(セミナー案内)


★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★      
  おばさんの弁当の反響
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 5歳のときに母親を亡くし、隣のおばさんが
 毎日お弁当をつくってくれた。
 河合孝治社長は、ずっと気がかりだった。
 あらためてお礼を言いたかった。

 その話が1月
16日の中日新聞に載ったところ、
 おばさんから中日新聞におたよりが届きました。
 「あの孝治君が素晴らしい人間に成長していたこと、
  あのお弁当のことを忘れないでいてくれたこと。
  鳥肌が立ち何回も読み返しては涙があふれてきました」

 
36年ぶりに手紙を通して再会しましたが、
 「お礼など、もう十分です」とおばさんは面会を遠慮。
 その話が、1月
23日の中日新聞に載ったのです。

 河合孝治社長と、ともに喜んだことはメールレターの
 2月
10日号で紹介しました。

 こんなすてきな話は多くの人に伝えたい、知ってほしい、
 メールレターで紹介しようと考えていました。

 と思って一週間もしないうちのこと、
 また河合孝治社長から電話をいただきました。 

 「村上さん! うれしいことなのに、泣けて泣けて。
  また載ったんです。新聞に。ありがたいことです。
  僕思うに、村上さんのおかげだってホントに
  感謝してます。村上さん、ありがとうございます!」

 河合社長はこう言うのです。

 まだ会ってはいないけど、
36年ぶりにおばさんに会えた。
 それは中日新聞の『ほろほろ通信』に掲載されたから。
 その欄を書いている志賀内さんを紹介してくれたから。

 そのとおりです。そのとおりですが、
 
36年ぶりにおばんさと連絡がとれたのは
 「村上のおかげ」ではありません。

 僕が河合社長と出会ったのは、
 名古屋の川端康浩さんのおかげであり、
 川端さんとの縁は豊橋市の山口高弘さんのおかげであり、
 山口さんとの縁は福岡の竹田陽一先生のおかげであり

 どんどんさかのぼっていきます。

 河合社長と志賀内さんが出会ったのは、たしかに
 村上が取りもった縁です。その志賀内さんと僕が出会ったのは
 名古屋の酒井英之さんのおかげであり、
 酒井さんと志賀内さんの縁は
……とさかのぼるでしょう。

 いま、このメールレターを読んでくださっているあなたと
 僕とのおつきあいも、どなたかの縁によるものですよね。

 そして、そのどなたかは、やはりほかの
……
 縁は続くものです。

 そしておもしろいことに、この先も縁はどんどん広がります。
 新聞を読んだ方にも共通する想い、共感する思いがあり、
 いい話は人から人へと伝わっていきます。

 経営も同じだなあと思います。
 あの会社、いいよ。
 このサービス、助かったよ。
 あの人、よくしてくれるよ。
 みんな、いいって言ってたよ。

 そんな話が広がっていくのだと思います。

 
2011年1月30日の中日新聞『ほろほろ通信』を転載します。
 お読みいただけますか。

 (ここから)
 
 三十六年前、母親を亡くした河合孝治さんに、
 毎朝お弁当を作ってくれたおばさんがいた。
 「ぜひ礼が言いたい」という話を一月十六日付
 「ほろほろ通信」で掲載。すると、当のご本人から
 手紙が届き、同二十三日付小欄でその内容を紹介した。
 「お弁当のことを覚えていてくれたと知り、
 涙があふれてきました。孫もでき元気に暮らしています」

 これを読んだ大勢の方から便りが届いた。
 「おばさんがこの記事を読んでくれますように、
 と祈ってました。良かった!!」
 「おばさんがお礼は十分と名乗らなかったこと。
  感激しました」
 「私も昔、父と二人きりのことがあり、
  周りの親切をいっぱい受けました。
  自分と重なって私からもおばさんにお礼が言いたいです」
  など。

 名古屋市千種区の佐々木かず子さん(五九)からも
 似た話が届いた。二十年ほど前。共同住宅の隣室の奥さんが
 亡くなられた。そこには保育園と小学四年の子どもがいた。
 お父さんは仕事で帰りが遅いので夕食を届けたり、
 遠足のお弁当を作ったりしていた。ところが、佐々木さんの
 義父母が病気になり、同居するため引っ越しすることに。
 後ろ髪を引かれる思いだったという。

 五年前、下の娘さんが「美容師になりました」と
 わざわざ報告に来てくれた。それがたまたまお盆供養の支度中。
 忙しくて玄関先でのあいさつしかできずじまい。
 その後転居され行方がわからなくなってしまった。
 「あの時、お母さんの代わりに抱いてあげればよかった」と
 後悔しているという。

 別の方からこんな便りも。
 「誰でも一人は思い出に残る人がいるでしょう。
  感謝の気持ちを忘れずに暮らしていきたいと思いました」

 (ここまで)

 いま、メールレターを書きながら思います。
 思い出に残る人はたくさんいます。

 その方たちへの感謝の気持ちはもちろん、
 メールレターを読んでくださっている、
 あなたにも、あなたにも、あなたにも
 感謝の気持ちを忘れずに暮らしていこうと
 あらためて思っています。

 ありがとうございます。
続きを読む...

36年ぶりのおばさん

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  こんにちは。お客が増える★プロダクションの村上
透です。

     
   居酒屋からハガキが届きました。
   2度利用した店ですが、前回、求めに応じてアンケートを記入。
   そこで届いたハガキには


   おめでとうございます 感謝してます
   お客さまに記入していただいた『喜びの声』が
   抽選で当選いたしました!
   2等の
500円分の食事券です
   おめでとうございます!
   またのご来店、さくらファミリー一同
   心よりお待ちしております。

   そうかぁ、こういう手があったか

   単なる割引とちょっと違い、一応、理由はある。
   さてここから何を学ぶか。
      

 今日の内容
  *
36年ぶりのおばさん(おたより本文)
  *世界の小澤から7メートル(村上
透ものがたり)
  *この日、ここで、あなたに会えませんか(セミナー案内)


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36年ぶりのおばさん
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 5歳のときに母親を亡くし、隣のおばさんが
 毎日お弁当をつくってくれた。
 河合孝治社長は、ずっと気がかりだった。
 あらためてお礼を言いたかった。

 その話が1月
16日の中日新聞に載りました。
 その3日後です。
 オートネットワールドの河合社長から電話がきたのは。

 「村上さん!
たいへんです! 奇跡です!」

 なんだ、なんだ?
 すごいことが起きたみたい。

 「はい、河合社長、どうしました?」

 「先週、中日新聞に載ったでしょ。隣のおばさんが
  お弁当をつくってくれたことにお礼を言いたいと。
  そしたらですね、おばさんから連絡があったんです。
  新聞社に手紙が届いたというんですよ!」

 そう聞いたとたん、何かが急にこみあげてきて
 「かわいさん! よかったですね! そうですか!
 #
※⁈♭♮×〜→▲・・・・・・・」と
 何を言っているのか自分でもわからなくなりました。

 河合社長もうれしくて興奮しています。
 僕もまた感激。
36年ぶり? と驚きです。

 河合社長と僕は、それだけで喜んでいましたが、
 じつはさらにサプライズがありました。
 1月
23日の中日新聞に、その経緯が載ったのです。

 
2011年1月23日の中日新聞『ほろほろ通信』を転載します。
 お読みいただけますか。

 (ここから)

 お弁当のおばさんからの手紙

 一月十六日付「ほろほろ通信」で、河合孝治さん(四一)の
 思い出話を紹介した。母親を早くに亡くして父親との二人暮し。
 それを見かねた公団住宅の隣室のおばさんが、幼稚園に毎朝
 持たせてくれたお弁当が今でも忘れられない。
 今自分があるのは、あのおばさんのおかげです。
 ぜひお目にかかってお礼が言いたいという話だ。

 ★翌々日、社会部に一通の便りが届いた。
 「何げなく読み始めて、アレッ私のことだと確信しました。
 あの孝治君が素晴らしい人間に成長していたこと、
 あのお弁当のことを忘れないでいてくれたこと。
 鳥肌が立ち何回も読み返しては涙があふれてきました。
 自分の娘の成長の節目ごとに、孝治君はどうしているかなと
 考えることがありました。今も当時のお顔をはっきりと
 思い出せます。今、私たち夫婦は春日井に引っ越してきて
 三十年余り。七十と六十七歳のおじいさん、おばあさんです。
 孫もでき元気に趣味を楽しみながら暮らしています。
 どうぞこれからも、今の温かい心を持ち続け、
 ご家族を大切にしてご活躍されることをお祈りしています」

 ★ぜひ、二人をお引き合わせしたいと思ったが、
 手紙にはこんな言葉が添えられていた。
 「『お礼を』とのことですが、もうこれだけで十分です。
 お礼を申し上げたいのは私の方でございます。
 ずいぶん迷いましたが、
 住所・氏名は伏せさせていただくことにしました。
 孝治君によろしくお伝えくださいませ。 春日井
H.S

 ★河合さんから
H.Sさんへ返事を預かった。
 「父親も喜んでいます。できれば会ってお礼を申し上げたいと。
 でも、負担をかけないようにとの気遣いなのでしょう。
 実は、私の自宅も春日井。ひょっとすると、
 この三十年の間にどこかですれ違っていたかもしれません。
 本当にありがとうございました」

 (ここまで)

 あるんですねえ。こんなうれしいことが、あるんですね。
 お弁当のおばさん夫婦は、なんと慎み深い方でしょう。

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隣のおばさんのお弁当

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 お客が増える★プロダクションが贈る メールレター
 【今日も元気に
お客が増える!】 185
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜20110207

 このメールレターは、
 お客が増える★プロダクションとご縁のある方に贈ります。

  
本文の無断転送、無断転載を積極的におすすめします。
  (転載される際は、気前よく全文まるごとお願いします!)


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  こんにちは。お客が増える★プロダクションの村上
透です。

     
   2年にわたる携帯電話の
しばりがとけて(通じますか?)
   
iPhone(アイフォン)に変更しました。
   つい先日、2月5日のことです。

   いつのまにこんなオジサンになってしまったのか。
   むずかしい。わからない。なにがなんだかさっぱり。
   使いこなすどころか、メールや電話の基本的操作が
   思うようにできないときたもんだ。

   でも、どうぞ遠慮なく村上にメールでも電話でもどうぞ。
   返信することで、いい練習になります。
   って、あなたは僕の練習相手ではありませんよね。
   それにしてもアップルはお手本のひとつの例です。
   絶対値引きはしない。定価販売。それが当たり前。
   商売、そうありたいと思いませんか。
      

 今日の内容
  *隣のおばさんのお弁当(おたより本文)
  *海水をくみあげる仕事(村上
透ものがたり)
  *この日、ここで、あなたに会えませんか(セミナー案内)


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  隣のおばさんのお弁当
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 「こんなにイメージが悪い業界だってわかっていたら、
  中古車販売なんてやりませんでしたよ。(中略)
  価格が不透明、堅気じゃない人がやっている、押し
  売りされそう、中古車はすぐ壊れる、店内が汚い、
  店内がタバコくさそう
。とにかく信用がない。
  どうすれば信用していただけるか。苦労しました」

 (どうすれば、お客さんは信用してくれるのか


 イメージされる中古車販売店とは正反対の店にしよう、
 他店とは異なることをしようと河合孝治社長は決めました。


 朝早くから店を開く。
 店内をきれいにする。
 店の外もきれいにする。
 お茶を陶器のカップで出す。
 店内を禁煙にする。
 トイレをきれいに維持する。
 日経新聞を置く。
 それから
……

 おそらく、日本一朝が早い中古車店です。
 朝6時に出社。6時
30分には店をあけます。

 そういう姿勢の会社って、お客はちゃんと
 わかるものなんですね。お客の数が増えました。


 と、オートネットワールドの河合社長の話を
 メールレターに書いたのは昨年の9月。

 すぐ、志賀内泰弘さんから電話をいただきました。
 メールレターを発信して、その日の朝だったと思います。

「河合さんに会いたいなあって思って。
 河合さんに会いに行ってもいいですか?」

 たまたま家の近くだし、
 そういうがんばっている社長さんって魅力ある。
 だから会いに行きたい。

 志賀内さんのすばらしいところです。
 近くだからすぐ会いに行く。
 (九州でも北海道でも会いに行くのですが
笑)

 わざわざ連絡をくれたのです。

 「どうぞどうぞ。河合社長ね、がんばっていますから、
  どうか応援してあげてくださいね」

 その後、河合社長と志賀内さんはどんな話をしたのか、
 近所づきあいがはじまったのか、わかりません。
 いつのまにか時間がすぎていきました。


 あとから知ったのですが、河合社長は、
 小さいころの話を志賀内さんに打ち明けていたのです。


 年が明けて、今年の1月。
 僕の携帯電話が鳴りました。河合社長からです。

 「村上さん! すごいありがたいことがありました!
  中日新聞に載ったんですよ。ダメでもともと。
  でも、気持ちが伝わればいいかなって
……

 どういうことか。
 河合社長が小さいころ、お世話になった隣の家の
 おばさんのことを志賀内さんに話したのですね。

 その話が、志賀内さんが担当している、
 中日新聞のコラム欄に載ったというのです。

 すぐ読めてしまう長さです。
 お読みいただければうれしいのですが。
 
2011年1月16日の中日新聞『ほろほろ通信』を転載します。


 (ここから)

 おばさんのお弁当

 今から三十六年前のこと。名古屋市北区で中古車販売を営む
 河合孝治さん(四一)は、母親を亡くして父親と二人暮しを
 していた。それを見かねてか公団住宅の隣室のおばさんが、
 幼稚園に出掛ける前に毎朝お弁当を作ってもたせてくれた。
 いつも工夫を凝らした内容で、今でも忘れられないという。

 ★後になって父親から聞いた話。このおばさんに食費の
 代金を持ってお礼に行ったところ、突然怒り出した。
 「私は夫と息子の『ついで』で弁当を作っているだけです。
 だからお金はいりません。もしお金を払うのなら作りませんよ!」。
 おいしいお弁当は、河合さんが小学校に入学するまで続いたという。

 ★今、従業員のK君と一緒に昼のお弁当を食べている。
 河合さんは奥さんが、K君は母親が作ってくれたものだ。
 あのおばさんのお弁当のことが頭にあり「家に帰ったら
 『お弁当を作ってくれてありがとう。おいしかったよ』と
 必ず言いなさい」と話した。K君は、照れくさかったらしいが
 母親にそう言った。それ以後、K君に対して一層優しくなり、
 朝ごはんも作ってから会社に送り出してくれるようになったという。

 ★ところが、小学二年生の時に引越したため、おばさんの名前を
 思い出せない。父親も記憶にない。公団住宅も取り壊されてしまった。
 「守山区幸心住宅
A-36に住んでいた河合です。おばさんのおかげで
 幸せに暮らしています。もしご健在でしたらご連絡ください」と
 河合さん。ぜひお目にかかってお礼を言いたいとのこと。
 かすかな記憶では、ご主人は警察官だったらしい。

 (ここまで)

 河合社長がお母さんを亡くしたのは5歳のとき。
 お母さんのことでおぼえていることはわずか。

 「お母さんがつくってくれたサンドイッチが
  とてもおいしくて、大好きでした。
  それだけはいまもおぼえています」

 それ以上に、おぼえているのは、やはり
 隣のおばさんがつくってくれたお弁当です。
 いつも青い弁当箱に入れてくれました。

 「ときどきサンドイッチをつくってくれました。
  お母さんのことを思い出すからでしょうか、
  おばさんのサンドイッチもすごくおいしかった」

 河合社長は本当に心から感謝しています。
 その気持ちを伝えたい。
 さいわい、いまはお父さんも元気です。
 「父も、いつも感謝しています」

 そんな話を志賀内さんに話したのでしょう。
 『ほろほろ通信』に掲載されたというわけです。

 その数日後、再び河合社長から電話がありました。
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