山田方谷のプレゼンテーション

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お客が増える!】 233
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜20110927

 
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  こんにちは。お客が増える★プロダクションの村上
透です。
     
   
   沖縄で事例紹介セミナーをしました。
   熱かったです。気候だけではありません。
   沖縄の社長は、とびきり熱かった。
54名!

   「はい、いま経営の勉強をしている最中です」
   とニコニコしているのですが、詳しく聞くと
   これがまた猛烈な勉強ぶり。社長も社員も。
   お客が増えるはずです。
 
   いま福岡です。今日はこれから福一不動産、
   古川隆社長の出版記念パーティに出席します。
   この本、ぜひ、あなたに読んでいただきたい。
   くわしくは後日、案内いたしますね。


    
今日の内容
  *山田方谷のプレゼンテーション(おたより本文)
  *いやだった夜の飛び込み(村上透ものがたり)
  *この日、ここで、あなたに会えませんか(セミナー案内)


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  山田方谷のプレゼンテーション

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 備中松山藩の借金は十万両ありました。
 十万両って、いまだといくらになるのか?

 昔のお金と現代のお金を比べるのは
 むずかしいものです。

 そんな額になるの! と思うときがあれば
 たったそれだけ? と思うこともあります。

 一両は現在の価値にして
30万円という人がいれば
 5万
5000円とする人もいます。

 山田方谷(ほうこく)の研究をしている
 「山田方谷に学ぶ会」では、その中間をとって
 
16万円として計算しているようです。

 とすると、備中松山藩の借金は
160億円。
 藩の借金と聞いてもピンときませんが、
 会社の借金と考えると、おそろしい金額です。

 山田方谷に与えられた使命は、
 この
160億円をなんとかすることでした。

 現代に置き換えてみましょう。
 まず、お金を借りている相手に相談です。

 さしづめ金融機関ですが、備中松山藩への貸主は
 大坂(大阪)の商人たちでした。

 方谷は大坂商人たちに集まってもらい、
 藩が破産寸前であることを説明しました。

 そんなことを話すと、場合によっては
 無理な取り立てにあったり、
 差し押さえられたりするかもしれません。

 藩の実収入は
32億円。160億円もの返済は
 誰が見ても困難としか思えません。

 (回収できないのではないか?)と
 心配するに決まっています。

 ところが、大坂商人は聞き入れてくれました。
 方谷の話にうなずいてくれたのです。

 方谷は帳簿を持参し、状況を説明。
 「必ず返済するから待ってほしい」と
 
10年返済や50年返済の計画書を
 商人たちに手渡したのです。そして、

 「今後は一切、お金を借りない」と明言。

 粉飾したり、夢物語を披露するのではなく、
 包み隠さず話すことで信用を得たのです。

 鮮やかなプレゼンテーションですよね。

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山田方谷の「上下節約」

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 【今日も元気に
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〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜20110923

 
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  こんにちは。お客が増える★プロダクションの村上
透です。
     
   
   岡山は、山田方谷を生んだ土地だけの
   ことはある
と心から納得できました。
   「商売の勉強をしませんか!」という呼びかけに
   これほど敏感に反応するの? と驚きました。

   
1013日の木曜日、岡山県倉敷市で開かれる
   「商業界ゼミナール岡山」に僕も登壇します。
   僕の講座は定員
150名ですが、すでに満席。

   あなたもぜひお越しください。岡山に。
   僕以外の講座も、これがまた魅力的なんです。
   時間と交通費をかける価値があります。
   
http://20111013.com/index.html


    
今日の内容
  *山田方谷の「上下節約」(おたより本文)
  *名刺は本当に投げられる(村上透ものがたり)
  *この日、ここで、あなたに会えませんか(セミナー案内)


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  山田方谷の「上下節約」

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 企業だったら倒産していたに違いありません。
 
160億円もの借金を抱えた貧乏な藩、
 備中(びっちゅう)松山藩の財政責任者に
 任命されたのが山田方谷(ほうこく)です。

 山田方谷の対応策は、
 
木を見るだけではなく森全体を見る
 という考えにもとづいています。

 山田方谷が書いた『理財論』には、
 次のように書かれています。

 (ここから)

 財の外に識見を立て、
 道義を明かにして人心を正し、
 習俗の浮華(ふか)を除き
 風紀を敦厚(とんこう)にし、
 賄賂を禁じて官吏を清廉(せいれん)にし、
 民生に努めて民物を豊かにし、
 正道を尊重して文教を振興し、
 士気を振い武備を張るならば、
 政道はここに整備し政令はここに明確になる。
 かくて経国の大道は治まらざることなく、
 理財の方途もまた従って通じる。

(ここまで/「入門
山田方谷」・山田方谷に学ぶ会著より)

 「浮華」とは、うわべばかりはなやかで
 内容がないこと、という意味です。
 「敦厚」とは、誠実、素直、人情味がある、
 といった意味です。

 内容の優れた文章です。
 名調子ではありませんが名文だと思います。

 乱れた生活やモラルを立て直そう、
 もっと教育に力を注ごう、
 使うべきところにお金を使うことで
 政治はよくなり、結果的に財政もよくなる!

 と言っているように読めます。

 
30代前半に、この考えを唱えていた方谷です。
 財務大臣に任命されたのは
44歳。機は熟しています。
 すぐ具体策を打ち出しました。

 具体策は大きく分けて7つ。

 1【上下節約】
 2【負債整理】
 3【藩札刷新】
 4【産業振興】
 5【民政刷新】
 6【文武奨励】
 7【軍制改革】

 文字からおおよその内容がわかります。
 なんとなく予想できる、一般的な改革
……
 のはずがありません。
 なんたって7年間で
160億円の返済ですからね。
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着眼大局の山田方谷(やまだほうこく)

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〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜20110920

 
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  こんにちは。お客が増える★プロダクションの村上
透です。
     
   
   前回、メールレターを送ったのは8月
22日。
   1ヵ月も発行しなかった理由があります。
   むなしくなったからです。

   メールレターの本文全文をパクる人がいます。
   無断転載はオーケーですが盗作はいけません。
   「村上透ものがたり」はパクられません(笑)
   さすがに、僕のプロフィールは無理でしょう。

   メールレターだけではありません。
   僕が取材し、書いたレポート事例を
   自分が(自社が)指導した事例として
   ホームページに載せている会社があります。

   十数年間、いろんなことをパクられてきました。
   しかし、どれもこれも容認してきました。僕は
   
まねされるほどいい仕事をしていると考え、
   
まねできないほど差別化された仕事を目指し
   そのつど思い直してきたからです。

   再開します。とってもたくさんの方から、
   「最近、メールレターが届きません」という
   声をかけていただきます。ありがとうございます。


   
今日の内容
  *着眼大局の山田方谷(おたより本文)
  *「この地区担当です」(村上透ものがたり)
  *この日、ここで、あなたに会えませんか(セミナー案内)


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  着眼大局の山田方谷

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 「備中松山藩」について、あなたはご存じですか。
 「びっちゅうまつやまはん」と読みます。

 江戸時代の藩です。岡山県の西部にありました。

 もともと、岡山県のあたりは吉備国(きびのくに)と
 呼ばれていました。古代から勢力が強かった国です。

 この吉備を備前(びぜん)、備中、備後(びんご)と
 前、中、後の3つの地域に分けて呼んでいました。

 備前なら知ってる、と言う方が多くいます。
 「備前焼」は有名ですからね。

 備前、備中、備後の真ん中、現在の高梁市(たかはし市)
 のあたりに備中松山藩ができたのは
1617年。

 初代藩主は池田長幸(ながよし)。
 鳥取藩からやってきました。

 徳川幕府の時代です。二百数十年にわたり、
 こっちは徳川派だとか、いや、あそこは反幕府側だ、
 など、あれこれありました。

 江戸時代も終わりに近づいてきた
1849年、備中松山藩は
 第7代藩主、板倉勝静(かつきよ)の時代になります。

 この頃、備中松山藩はとても苦しい財政状況でした。
 藩としての収入は三万両、約
48億円というところ。
 (1両を
16万円として計算しています)

 しかし支出は五万両、約
80億円。
 年間二万両、約
32億円の収支不足に陥っていました。

 板倉勝静は財政を立て直そうと考えます。
 そこで起用したのが山田方谷(ほうこく)でした。

 山田方谷は備中松山藩の藩校、有終館の校長先生。
 京都や江戸で勉強に勉強を重ねてきた人です。

 「ぜひ、元締役兼吟味役をお願いしたい」
 と勝静は山田方谷に依頼します。

 殿様にお願いされたら断れません。方谷は
 元締役兼吟味役、言わば藩の財務大臣に就任。
 藩財政の最高責任者として改革に取り組みます。
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